教授リレーエッセイ

アイデアはいつ生まれるのか 神経遺伝子学 河原 行郎

神経遺伝子学
教授 河原 行郎

私は2004年から2008年までアメリカのフィラデルフィアに留学していた。その当時非常に驚いたことの一つが、大学、レストラン、デパートの至るところで自動ドアをあまり見かけないことだった。留学当初は手動で開閉することが面倒で仕方なかったが、その内にドアがコミュニケーションの大事な場になっていることに気がついた。先にたどり着いた方がドアを開け、向かい側にいる人を先に通す、そしてありがとう、どういたしましてという会話がなされる。日本にいては全く気がつかない価値観だった。

日本では公共料金などの振込はATMでほとんど24時間できるが、私の留学先の地域のATMには振込という機能はなかった。それ以前に引き出し機能くらいしかなく、預け入れもできなかった。研究に没頭したかった私としては、こういった細々したことは週末にでも片付けてしまいたかったのだが、土日にできることは限られていた。最初は不満だったが、慣れてくると土日はどうせ何もできないからゆっくり休もうという気分になっていった。その結果、週末に研究のアイデアを蓄え、平日にこれを試すよい循環が生まれるようになった。私は、こうした経験を通して、効率を重視した便利さが、必ずしも人の心を豊かにし、幸せにしているとは限らないことを実感するようになったのである。

インターネットやスマートフォンの普及で多くのことが便利になったことは否定できないが、結果的に時間に追われて生活せざるをえなくなり、メールやSNSの中毒になりつつある。先日開催された国際シンポジウムでは、私と一緒に座長を務めた外国人が、司会進行をしながらスマートフォンで明らかに発表とは無関係の何かをチェックしていた。それほどまでに急いで確認しなくてはいけない仕事などあるだろうかと心配になった。

研究において最も大事なのは考える時間だと思う。古来より、考えるのに最適な場所は三上(馬上、枕上、厠上)と言われてきた。現代風に言うなら、電車、ベッド、トイレといったところになるが、要は自律神経に委ねた受動的活動時こそ、考えることに集中できる最高のシチュエーションなのである。しかし、今これら三上はSNSのやりとりなどに追われる場に変わってしまった。個人的には、このような状況がパラダイムシフトを起こすような研究の着想を生みにくくしていくのではないかと危惧している。私も日本に帰国して、すっかりせかせかした生活に戻ってしまったが、アメリカ留学時代を時々思い出しては何もしない時間を作るようにしている。

教授 河原行郎
ゲノム生物学講座 神経遺伝子学
神経遺伝子学教室は、RNA生物学をテーマにした遺伝子機能制御学教室と、神経細胞医科学教室が融合し、2014年4月に発足しました。2019年4月には情報解析室も整備し、専任スタッフも着任したことで、RNA研究、疾患病態研究をシームレスに行う体制が構築され、現在に至っています。